これまでの活動 2008年

2008年キャンペーンへの参加

福岡でのビラ配り 西南学院大学での模擬裁判,そして他大学の交流をきっかけに,九州3大学では,「福岡事件再審運動を支援する学生の会」を発足させ,街頭でのビラ配りや,玉名での合宿など定期的に活動するようになりました.

 2008年6月19日,新たなメンバーを加えて,学生主催のシンポジウム『えん罪の構造~福岡事件からみる日本の刑事裁判~』を開きました.


2008年6月19日 福岡シンポジウム 第1部では,奈良女子大学の浜田寿美男教授に基調報告をしていただき,第2部では,浜田教授,九州大学(現:神戸学院大学)の内田博文教授,西日本新聞社の宮崎昌治記者をお招きして,刑事法学・心理学・マスコミ,そして支援者としての学生という4つの立場から,冤罪の作られる構造,そして,それに私たち市民がどう関わってくるのかにつて議論しました.

 このシンポジウムで,冤罪を作っているのは検察官,警察官,裁判官だけではなく,私たち市民も密接に関係していることを学ぶことができ,刑事司法の問題について,当事者の1人として考えていくきっかけを作ることができました.

福岡現地合同合宿

 夏休みを前に,関東学院大学の学生の提案により,関東学院もまた,九州3大学の現地合宿に参加することとなりました.

 私たちはそこで,石井健治郎さんと出会いました.彼の姿を目にし,その肉声を耳にしました.すでに91歳という高齢の身を車いすに乗せて現れた彼は,痩せ衰え,写真やVTRでみた姿とは,大きく異なっていました.


 既に数回にわたり脳出血のため手術を受け,弱りきっている中,意識が判然としないのか,それとも後悔からなのか,「あなたが人を撃ったのは本当ですか?」という問いに,彼は沈黙を続けました.

 しかし,「西武雄」という言葉を発したとたん,即座に口を開きました.


 不明瞭ながら,強い口調で,「西君は関係ない」「西君は何もしとらんのに,死刑にされたのは,不思議でしょうがない.」.

 「西武雄」という言葉が発せられるたび,石井さんは,何度も何度も,そう繰り返していました.別れ際に,石井さんの震えるその手を握ったとき,私たちは,この福岡事件を人間の苦しみの問題として,これを伝えねばならないという思うを禁じえなくなったのです.


『真相究明書』データ化の動き

古川泰龍著『真相究明書』 合宿の後,関東学院の学生はいち早く,福岡事件の資料収集をはじめました.この資料収集のうちに,どの資料でも絶対紹介されている著作があることに気付きました.それが,古川泰龍氏の書いた『真相究明書』です.「九千万人のなかの孤独」という副題をもつ,この本は,福岡高裁判決や各被告人の証言を綿密に検証し,この事件が冤罪であることを雄弁に物語っています.

 泰龍氏は,この『真相究明書』を,膨大な資料に埋もれながら書きあげ,謄写版印刷で300部刷りあげました.その出版費用を托鉢で集め,法務大臣が変わるたびにこれを送り続けたのです.

この著作は,古川家に残される1冊と,国会図書館,静岡県立大学の他に,石川大学に所蔵されているのみ.そして,古川家と国立国会図書館の各1冊は,損傷の激しさから閲覧禁止になっています.

 残された本を求めて,学生は静岡大学に赴きます.本はあったものの,そこには新たな問題が迎えていました.それは,資料自体の風化という問題です.劣化の激しい著書は,コピーをすれば,学生達が読む分くらいはたります.しかし,『真相究明書』の稀少性は,同様に福岡事件を調べようとしている人にとって,大きな壁になります.


 「少しでも福岡事件を知ってほしい,一緒に考えて欲しい」という一心から,学生はこの著書をデータ化することにしたのです.


関東学院大学学園祭シンポジウム―わが怒りを天に雪つぶて―

 2008年11月1日,関東学院の学生達は,学園祭の企画として,「福岡事件シンポジウム」を開催しました.シンポジウムの表題は,「誤判わが怒りを天に雪つぶて」です.この句は,無論,西さんの獄中の句の1つです.シンポジウムでは,福岡事件という冤罪がなぜ生じたのか,という問いと,日本の刑事司法の問題点を照らし合わせながら,確定判決中心証拠となる自白,及び共犯者自白の問題を言及しました.

 結論だけ挙げますと,逮捕後被告人が入れられる警察留置場,いわゆる代用監獄を存続させている捜査過程の問題と,この代用監獄で採取された自白ないし共犯者自白を容易に証拠採用する裁判所の問題という2つの問題が,司法自体の誤判構造を支えていることを指摘しました.


 自白や共犯者自白の問題は,福岡事件だけの問題ではありません.そうであれば,一体なぜこれら「冤罪の温床」は未だに残っているのか,私たちは理解に苦しみ,そして,そのような刑事司法を支えている私たち自身とは何者かと悩みました.

 このような悩みの中で,私たちの脳裏をよぎったのが,夏休みの福岡現地合宿でした.石井さんとお会いした時に感じた,彼の苦しみを深く考えるようになりました.

 シンポジウムの報告の中で,私たちが出した結論を引用します.

「福岡事件は,死刑は,冤罪は,理論や学問だけの問題ではないのです.
 それは,西さんや石井さんにとっては,人間の孤独や苦しみや絶望そのものであり,
 古川家の人々にとっては,人間の良心と誠実さの問題だったのです.」



 冤罪事件は,死刑の問題と同じく理論の問題だけではなく,まさに人間の問題であると私たちは感じたのです

石井さんの急逝

2008年12月19日 東京 石井さん追悼集会 関東学院の学園祭シンポジウムから1週間も経たない,11月7日,シュバイツァー寺からお電話をいただきました.

 「石井さんがお亡くなりになった.」という石井さんの訃報のお電話でした.この写真は,葬儀から2ヶ月後,ようやく気持ちの整理がついたときにおこなった,石井さん追悼集会東京会場の写真です.

 追悼集会の準備中に痛感したことは,石井さんがお亡くなりになって,こうして事件関係者全員この世を去ってしまった後,福岡事件は「記憶の風化」という問題が一層強く懸念される事件であるという事実でした.追悼集会後も,この事実は,私たちを悩ませ続けました.私たちの前には暗雲が広がっていたのです.


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