再審運動の軌跡

古川ご一家の活躍

福岡事件の再審運動の始まりは,1952年より死刑囚の教誨師として勤めていた古川泰龍さんとそのご家族でした.
 
 福岡刑務所で死刑囚として服役していた西さんと石井さんは,同刑務所に教誨師として通っていた古川さんと出会い必死に無実を訴え続けたのです. 
 最初は疑心暗鬼で二人の話を聞いていた古川さんでありましたが,独自の調査を行い彼らの訴えを聞くうちに次第に冤罪の疑いを持ち始めました.


 そして1961年二人の無実を確信し,全てを投げ打って再審助命運動に身を投じる事を決意したのです.
 古川さんは,事件関係者に聞き取りを重ね,「真相究明書」を自費出版します.西さん・石井さんの死刑執行を阻止するため,古川さんは法務大臣が代わるごとに「真相究明書」を送り続けました.


 
ところが運動開始15年後の1975年,長年の雪冤運動もむなしく西さんは突然,死刑執行されたのです.同日,石井さんは無期に減刑されました.
 
 しかし,更に運動は続き石井さんは再び恩赦で1989年には仮釈放.その後も「死後再審」の準備をしていましたが2000年に泰龍さんが亡くなり,ご家族がその意志を継ぎ現在に至ります.


学生と福岡事件の出会い

 その後,2005年に多くの協力者を得て6度目となる再審請求が実現します.このために行われた裁判調書のデジタル化が学生と福岡事件の出会いのきっかけとなったのです.

 裁判調書は膨大にあり,60年前のものでもあるので解読は困難を極めましたが,学生たちは互いに協力し,大学教授などに助けを求めつつデジタル化を進めていきました.



再審運動の広がり

 福岡事件の再審運動はますます広がりを見せています.2007年夏には正式に「福岡事件再審運動を支援する学生の会」が発足し,九州大学・熊本大学・神戸学院大学・関東学院大学などの学生とともに支援の輪を広げています.


 
福岡事件から60年余り.現在もえん罪が後を絶ちません.
私たちは不合理な刑事司法を残す社会の一員として,また無念を抱いたまま鬼籍に入った西さん・石井さんらの思いを,また今なお冤罪で苦しむ人々の思いに耳を傾ける社会の一員として,誰しも福岡事件の,そしてあらゆる冤罪・誤判事件の「当事者」であり続けています.


 福岡事件は,単なる60年前の事件ではありません.決して「他人事」でもありません.えん罪・誤判事件が存在する限り,福岡事件は常に現在の課題でありつづけ,わたしたち一人ひとりに突きつけられた問題でもあります.


 ひとりひとりに出来ることは小さなことかもしれませんが,
そのひとつひとつの力が集まれば社会を変える大きな波となります.

福岡事件再審運動にご協力お願いします.